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怪奇骨董たおやめぶりっこ

ますらおぶりに憧れるブログ。涙がちょちょぎれちゃう。だって怪奇骨董たおやめぶりっこだもの。

交響楽団の演奏を聴いてきたよ(Rシュトラウス「四つの最後の歌」ベートーヴェン『田園』)

音楽 ライブレポート

Rシュトラウス「四つの最後の歌」

Rシュトラウス「四つの最後の歌」。Rシュトラウスは、『ドン・ファン』、『死と変容』、『ツァラトゥストラはかく語りき』、『英雄の生涯』、アルプス交響曲などに手を出しつつことごとく挫折するという経緯がありかなり苦手意識があった。これはよい音楽でした。歌は何言ってるか分からないし手元の歌詞・訳詞と対比するにも聞き取れないしだけど、しっとりとしたオケ、特に歌が終わって曲が終わる後奏の余韻がとてもよくてぐっときました。

▼「夕映えの中で」

おお はるかな 静かな平和よ!
こんなにも深く夕映えに包まれて
私たちはさすらいに疲れた
これが死というものなのだろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%AD%8C

とてもよい一節です。

ベートーヴェン『田園』

メインはおなじみ『田園』。

  • 長調のところはずーっと長調短調のところはずーっと短調だなーと思って聴いていた。
  • これはヴェン特有なのだろうか同時代的な特徴なのだろうかと思って聴いていた。
  • 小節どころか4分単位でメジャー、マイナーコードが入れ替わり立ち替わるのが当たり前な今どきの音楽を聴いて育ってきたから、そこらへんにクラシック特有の違和感っての起源があるのかもと思って聴いていた。
  • ぐいぐいコード進行しなくっても、しばらくメジャーセブンス的なモードが続いてからのからのマイナーモードにしゃきんと切り替わったときに、聴き手はぎもぢいいと感じる。そういう麻薬的な音楽に毒された現代人には、なんとなくぼわーっとした音の塊に聞こえてしまうのかもと思って聴いていた。
  • 第4楽章はヴィヴァルディ『夏』を10倍に希釈して編成を拡大したような印象でどどーんときてよかったなあと思い出しながらこのエントリーを書いています。

ベートーヴェン『田園』第4楽章「雷雨、嵐」

▼ヴィヴァルディ 協奏曲第2番 ト短調、RV.315「夏」プレスト(夏の嵐)

じゃあ、あしたまにあーな