怪奇骨董たおやめぶりっこ

ますらおぶりに憧れるブログ。涙がちょちょぎれちゃう。だって怪奇骨董たおやめぶりっこだもの。

音律と音階の科学と古学とバレンタイン

平日クォリティでお送りする書籍「音律と音階の科学」の間奏からの連想ゲーム。

音律と音階の科学

読んだ。「[asin:4309267807:title]」でちょろまかされてなんか知ったかぶり状態になっていた音律・音階に的を絞って学習できた。音ってなあに?てところから音律・音階、そして和音。クラシック・民族音楽・ポピュラーミュージックなどもろもろの事例をひきながら。情報としては硬派なのだけど、とても楽しく読めた。というわけで読後感「★★★★★

まず調律の歴史っていうのは、古代にピタゴラスの分割があって、それから中全音純正律の段階があって、不等分平均律があって、完全等分平均律に至ったという流れがありますけど(「官能と憂鬱を教えた学校」p074)

とさらっと流されてしまった部分を根掘り葉掘りした本。いろいろな調律が科学的・数学的にどんな具合になっているのか、それらの音の響きは音響心理学的にどうなのかって話。「人間は複数の音が鳴っているとき、それらの周波数が単純な整数比である音ほど協和して聞こえる」て経験則をもとに人類がいろんな調律を試行錯誤してゆく歴史の本。

音律の歴史
  • ピタゴラス分割。ある音程「ド」の弦を 1:2 の 3 分割して、2/3 側(周波数比は 3/2)を弾くと完全5度上の「ソ」になる。さらにその5度上は「レ」、次は「ラ」、次は「ミ」・・・と重ねてオクターブを 12 分割。12 番目を無理やり閉じた不自然さと3度(ドとミ)の響きが悪い欠点があり。
  • 純正律。3度の響きを浴するために、周波数比 4/5 を導入。ひたすら調和する音階を得る。でも、転調すると、いきなりすごく濁るので音楽的な変化がつけられなくて泣く。
  • ミーントーン、ヴェルクマイスターなどの音律。純正律の美しさを若干犠牲にして転調可能なような調律がいろいろ考案された。
  • 平均律。1オクターブを12等分。どの音も完全に調和するわけじゃないけど、だいたいこれまでの音律の美味しいところに近似する。なにより転調が自由自在。これが定着。現在に至る。

というもろもろの歴史をきっちり論理的に知ることができます。なるほどなっとく!

和音の響き

続いて、2つの音が鳴ったときの響きについて。

http://www.flickr.com/photos/22570152@N03/2206401082/sizes/o/

異なる2つの音は、周波数比が単純な整数比であるほど協和して聞こえるの図。2つの音は、それぞれ倍音をいくつも尻尾につけてもっているわけです。比が単純だとそれらの倍音がお互いにうまく重なって協和するという理屈。そいでもって、次に3和音の響きも3次元グラフで一目瞭然。

http://www.flickr.com/photos/22570152@N03/2206397628/sizes/o/

すごい説得力。ここいらのお話がとても懇切丁寧。

まとめ

・・・ええと大雑把に言うとうえの2大話題の超ダイジェストを見て「おー興味ありますよ」って人はぜひご覧になってください。軽くでも楽器に触れたことのある人ならいろいろな実体験が論理的に解説されてゆくさまが快感だと思います。

その他の引用とコメントはこちら

古調律と古楽

そして、わたくしがちょいと気になってきたのがこちら。

http://www.flickr.com/photos/22570152@N03/2205621769/sizes/o/

これはぐっとくる!!

転調によって表情が変わる音律。それを熟知して作曲したバッハ。ヴェルクマイスターで調律された平均律クラヴィーア曲集すごく聴いてみたい!手元にあるのは、ありがちなチェンバロ(調律不明)と、有名なグールドのピアノ(平均律の権化)のバージョンだけだ寂しい。同様に、モーツァルトが愛用していたのはミーントーン(中全音率)だった。モーツァルトといえばばっきばきの平均律に調律された近代楽器で演奏されたものしか聴いたことがない。ミーントーンで聴くモーツァルトってどんなだろう!?もうモーツァルトアレルギーとかいってられませんよこれは!

と思った次第。

古楽」なるジャンル

某日(http://d.hatena.ne.jp/fractured/20080203/1202049828)のコンサート会場で配布されていたちらしには、古楽器古楽なる文字が躍り、そういうコンサートが(少なくてもオペラシティでは)盛んに開かれいることを知る。

ちょうど、その某日のエントリーの「おとなり日記」に古楽について述べたエントリーがあった。これって運命的じゃじゃじゃじゃーん。

古楽というジャンルは、クラシック音楽というジャンルが、その形式を確立する過程の中での、ある種の通過点に存在する様式といえる訳だが、古楽の楽しみというのは一つにその過程を再現しようとする点にあるのではないだろうか。奏者は再現するために試行錯誤を繰り返す。その試行錯誤を聴き手は楽しむ。個人的な意見としては、ガットのあの暖かく豊かな響きがたまらなかったりするのだが…その行為が確実に正しいという確証は無い。だがその確立されたジャンルは異常なまでに魅力的である。古楽に興味があれば、こんな団体の演奏会に足を運ぶのも良いのではないだろうか。

オーケストラ・リベラ・クラシカ バロックチェリスト鈴木秀美氏が中心となって結成された古楽オケ。

とにかくあの音の響きははまってしまったらもう戻ってこれない気がする。

古楽の楽しみはどこにあるのか - abclab

いや、ほんと、そんなこと言われたらその音の響きを探求せずにはいられないではないかではないか。もう戻ってこれない世界につれてってほしいですよ。ふらいみーとぅざ古楽さあ、インターネッツ諸君、われに道を古楽の道へ導きたまえ

古楽器によるバッハ

などとまるで今「古楽」に出会ったような言いっぷりですけど、実は違いました。高校生の時分です。文化なんちゃらみたいなイベントで、全学的にとあるコンサートを鑑賞したわけです。それが、古楽器によるバッハの演奏会だったわけです。当時、どっぷりクラシック鑑賞にはまっていたわたくしは、ブランデンブルク協奏曲などにハッスルハッスルしたわけです。当時は(今もだけど)古楽器や調律がどうのとかいう知識はなかったので、単なるいちバッハファンとしてハッスルしておりました。

YouTube - Bach - Brandenburg Concertos No.6 - iii: Allegro

特に大好きだったブランデンブルク協奏曲第6番第3楽章で狂喜乱舞状態。みんなもこれを聴いてバッハファンになるといいよ。

つまらなそうに寝たりしてる連中にいまどきの言葉で言えば「げにけまらしきリア充どもはことごとく爆発しろ!」*1などと思いながらバッハに胸をときめかせた高校二年生の2月14日の思い出。

2008-02-15 追記

引用元「古学の楽しみはどこにあるか」へのリンクが抜けていたのを追記。「げにけまらしき〜」の意訳を脚注に追記。

*1:=わたしは、あの人生が充実した様子でつるんでいる人たちをとても不快に思います。みんないなくなってしまえばいいのに