「Tilt」Arti & Mestieri
今日聴いた音楽。'74年、イタリア製。イタリアのプログレバンド、アルティ・エ・メスティエリのデビュー作。
芸術家(artist)と職人(master)が創り出した繊細緻密にして巨大な音楽の造形物。超絶ドラマー、フリオ・キリコを中心とした鍵盤、ヴァイオリン、サックスを含む6人の大所帯。高い演奏技術と構築美と叙情性のバランスのよさはイタリアン・ロック(イタロ)随一。イタロ十傑に入る名盤。
アルティといえばドラマーのフリオ・キリコである、と紋切りタイプな言及に終始しちゃうのはだってしょうがないじゃんと開き直るほどキリコの存在感が大きいから。キリコは内蔵された水晶が発するパルスに同期して正確なリズムで痙攣しているのだ。一見、超絶的にドラムを演奏しているようだが、イーバにアブダクトされインプラントされた水晶が発するパルスに同期して正確なリズムで痙攣しているのだ。つまり、イーバにアブダクトされインプラントされた水晶が発するパルスはキリコを痙攣させる作用がある。
痙攣以外のいろいろはこちらを参照:何事も(怒りの以下略) - Arti+Mestieri
イタリアン・ロックが醸す独特の空気
時折、当ブログでは「'70年代英国の音楽が醸す独特の空気」に対して「たまらない」と賛辞を送っている。同様に、「'70年代イタリアン・ロックが醸す独特の空気」というものがある。南欧、地中海のノリである。ヴァイオリンで奏でられることが多い哀愁漂うメロディだったり、今にも島田夫妻(夫)よろしくカンツォーネ!と叫びだしそうな野太い男声だったり、英国同様やっぱり言葉にしがたいジローラモさであったり。
(-_-)オデはこれが苦手だ。
失禁しそうな勢いでJazz-Rockが盛り上がってくる#5「路上にて」でもやっぱり「イタリアか!」と流行りの突込みを禁じえない。マグマ(MAGMA)の「Mekanik Zain」におけるディディエ・ロックウッドの演奏と聞き比べると、このイタリア人のイタリア性のイタリアたる部分のなんたるやが感じられる。
逆にいえば、イタリアっぽさが肌に合う人には一生ものの名盤たりうる。キリコ以外の全面子も演奏技量は負けておらず、構築性も一級品。
お気に入り度(痙攣指数):73点
明日へのワルツ
2nd。'75年製品。
キリコじいちゃんのクロック周波数がさらに上昇しクアッドコアで究極のオーバークロックを目指すベンチマークジャンキーのような2枚目。「もちろん静音性にだって気を配ってます」
全16曲と細切れに場面転換するものの全体として変奏曲になっておりむしろ統一感がある。イタリアか!的な叙情性がやや後退した代わりに、Jazz-Rockさマハビシュヌさが増して興奮しやすくなった。イタリア性はこれくらいの按配がちょうどよい。前作の「路上にて」でずっこけさせられた部分も、#2「花芯」で盛り返してくれる。
オデ個人的にはこちらが好みだけど、王道の「TILT」から入って比較するのが筋だと思います。
お気に入り度(痙攣指数):78点
追記:後で改めて「路上にて」と「花芯」を聞き比べたが、大差なかった。あらゆる前言がだいなしや。どちらも怪演。