3.6 dzライブ(はてな編)
ポスト「豚殺」の決定打に欠ける − 3.6 dzライブ
「dz影のプロデューサ(他称)」のふらくやんが評論的な視点で昨今のdzを振り返ります。
2005年3月6日(日) 新大久保CLUB VOICE http://clubvoice.jp/ 開園 17:30〜 dz演奏18:00〜 チケット¥1,500(ドリンク\500)
45点。と現場で評価しました*1。決定打に欠けるポスト「豚殺」のいかんともしがたさがいかんともしがたく思えてしまった。
「豚殺」のいかれた盛り上がり。ネット上の音源、Webサイトのテキスト・コラージュやイラスト、文字・音声チャット、そしてライブと多大な稼動を呼んだムーブメンツだった。以下は、そんな当時の熱狂をしのばせる記録。
- http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a004446
- おもな豚楽曲(一部)。一番下の「豚キラー」から順に「豚」のつく曲。*2
- http://fencial.hp.infoseek.co.jp/works/tonsatsulist_flame.htm
- 豚殺のグラフィック作品集。
んで、dzはとあるライブにて豚殺の終結を宣言する。マルチメディア展開を停止し、ライブ一本に絞った活動に専念する。ポスト豚殺の手法として、ライブステージでの「ネタ」てのが打ち出される。豚殺期も「今回の小道具」は大きな楽しみの一つであったが、それが「ネタ」まで拡大された。
毎回毎回異なるネタで勝負。ネタが勝負。ネタを売るプロは旬なネタをあちらこちらで使いまわしますが、dzはワンタイムネタ。うけたりうけなかったり波がある。「ロックンロール紙芝居」は最高だが、「睡眠ショウ」は失敗だった。一発一発が毎回きわどい勝負。きわどい勝負ゆえに不安定。不安定なのは決定打じゃない。ゆえにポスト豚殺の決定打は存在しない。
そこらへんはdzの人も敢えて挑んでいるのだろう。豚殺は現象が一人歩きしてそれに甘えられたり押しつぶされたりするという状況は望まなかったのかしらと。そーゆー感じについてのエトセトラはPink Floydの「The Wall」が物語る。
んで、以下に二つの言葉を引用する。科学の進歩における至言だけど、dzにも言えるよねって。
これが真実かもしれないと思う創意に富んだ着想は、偉大な発見の出発点である。(生物学者の人 ピーター・メダワー)
→「ナッパ様」は創意に富んでいる。
誤って事実とされたことは、長くそのままになりがちなので、科学の進歩にとってきわめて有害である。しかし誤った仮説はほとんど害をなさない。だれもがその誤りを立証するという有益な楽しみをしたがるからだ。そしてその誤りが立証されれば、まちがった方向がひとつ閉ざされて、しばしば真実にいたる道が同時に開かれる。(進化論の人 チャールズ・ダーウィン)
→「睡眠ショウ」は失敗だと酷評されたが、それによりまた真実に一歩近づいた。
打ち上げでボーカル氏が熱弁をふるっている影で、そんなことを考えていた。
応援。
*次回公演は4.16下北沢 → http://www.geocities.jp/namiking321/dzlivesimokitazawaa.htm
*1:「偏差値45」という感覚です。50で普通65は立派70で一流80越えは神。
*2:個人的には「とんとこスーパー」「豚殺司令官」が外せない名曲だと思ってます。音質は低めですが、http://fencial.hp.infoseek.co.jp/dz1butacd.htmで試聴可能です。